大判例

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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)847号 判決

控訴人

金子靖夫

右訴訟代理人

関根栄郷

〈外二名〉

被控訴人

イースタン興業株式会社

右代表者

高村武人

右訴訟代理人

松岡浩

〈外三名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1に記載の事実は当事者間に争がない。

二被控訴人が昭和三九年二月二九日本件建物を明渡しのため訴外芝ビル株式会社に提供し、同社に対して六五〇万円の保証金の返還請求権を取得したという原審の判断は、当裁判所も正当と認める。その理由については原判決の理由二の記載(原判決一五枚目表五行から二六枚目裏末行)に次の訂正を加えて引用する。《中略》

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。(一部原判決を引用する。)

(一)  控訴人は戦時中に本件建物の所有権を取得し(所有権取得登記は昭和二二年三月三一日付)、いずれも自分が代表取締役として経営していた訴外横須賀企業株式会社、同北日本製鉄株式会社、同株式会社ダイヤモンドフオト等の事務所としてこれを使用していたが、昭和二九年頃にはこれらの事業はいずれも行き詰つて休業状態となつており、控訴人も病気のため事業の継続を断念したところ、当時控訴人の責任において清算しなければならない右各会社および控訴人個人の負債が五〇〇万円余残つていたので、控訴人所有の本件建物によつて右返済金の調達を試みることになり、たまたま当時本件建物をアメリカ系の会社が一〇〇〇万円の保証金を支払つて借り受ける話が進行していたので、これが具体化すれば直ちに返済しうるとの目算を立て、かねてからの知人である訴外松野鶴平に五〇〇余万円の借入れを申し出でた。一方松野は元陸軍次官の訴外柴山兼四郎を後援して参議院議員選挙に立候補させたが落選したので、同人の身の振方を考慮しなければならない立場にあつたため、松野は「新会社を設立し、控訴人からこの会社に対し本件建物の賃借権を設定させ、同会社は前家賃として控訴人に同人が必要とする金五〇〇万余円を支払い、会社はこの賃借権にもとづき、建物を他に賃貸(転貸)する、そして柴山又はその身代りとなる者をこの会社の役員に就任させ、その収益から報酬を支払わせる、松野は同会社に右の前家賃支払の資金を融資し、同会社がその全額を返済するまでこの会社の代表取締役には形式上松野の身代りをおき、松野が実権を掌握すること」という方法で、控訴人の必要をみたし、且つ柴山を援助すべく企図し、控訴人もこれに賛同した。そして昭和三〇年二月二一日本店を本件建物におき、松野の息子の妻松野福子と柴山の身代りである田中彦蔵を代表取締役とする資本金五〇万円の建物の管理経営を目的とする訴外会社が設立された。次で同年三月五日に控訴人(貸主)と訴外会社(借主)との間で本件建物について期間を二〇年、全期間の賃料五五一万四九二五円全額前払とする賃貸借契約が結ばれ、同年五月九日右の旨の賃借権設定登記が経由されたが、右前払賃料のうち五一一万四九二五円は松野よりの借入金から、四〇万円は資本金五〇万円のうちから、控訴人に支払われ、控訴人はこれを以て前記債務の支払にあててしまい、訴外会社は設立後間もなく無資産に近い状態におかれた。ところが本件建物を前記米国系会社が賃借するという話は立ち消えとなり、そのほかの借手は見当らず、従つて松野への返済にあてらるべき敷金の入金もなく、柴山は昭和三一年頃には死亡したので訴外会社は営業活動を行わずに休眠状態をつづけることとなり、本件建物は前記横須賀企業株式会社と北日本製鉄株式会社が残した雑品が放置されたまま殆んど手入れもされず、事実上所有者たる控訴人が管理して昭和三七年三月頃に至つた。

(二)  松野鶴平は前記訴外会社への貸付金の返済が予期に反して遅れたので、右貸付金を費消した控訴人に対しその返済を強く要請していたところ、たまたま新社屋完成までの仮事務所を旧社屋の近辺にさがしていた被控訴人が本件建物を賃借したいという話が仲介業者を通じて控訴人になされ、松野も前記貸金回収のため、その成約を希望したので、交渉の末昭和三七年一月二九日本件賃貸借契約が訴外会社と被控訴人との間に締結された。この契約についての交渉には、訴外会社からはその支配人という資格で控訴人のみが出席してこれを行ない、控訴人は被控訴人に対して本件契約の決定権はすべて自分が持つているという態度を示し、契約条件なども控訴人が決定していた。本件賃貸借契約が締結され、被控訴人より訴外会社に六五〇万円の保証金が支払われた直後の昭和三七年三月二三日松野は控訴人を通じ貸金の返済として訴外会社から五九六万一五九五円の支払を受けた。訴外会社が設立以来その本来の業務としてしたものは、本件ビルを被控訴人に賃貸したことおよびその賃料の取立などのみで、その他の業務としてはビルの管理に関することのほかは、何も行なつていない。

(三)  訴外会社の商業登記薄によれば昭和三〇年二月二一日会社設立登記当時の取締役は田中彦蔵、松野福子(以上共同代表取締役)藤江永雄で、監査役は菊地きみであり、昭和三七年一月二七日の改選により取締役は松野福子(代表取締役)、藤江永雄、水野順三、監査役は内木きみとなり、右取締役三名は昭和三九年一月二九日に、内木きみは昭和三八年一月二九日にそれぞれ退任した旨記載されており、又控訴人の訴外会社支配人就任の登記が昭和三九年五月一三日になされている。しかし松野福子は舅である松野鶴平に命じられて代表取締役となつたもので、控訴人から会社の書類に押印を求められたときはすべて松野鶴平の指示に従つて処理し、また水野、藤江等も知人である控訴人から名前を貸すよう依頼されて名目上就任したものにすぎず、いずれも訴外会社の経営については関心がなく、終始取締役もしくは監査役としての実質的な仕事は何もなさず、報酬を受けたこともなかつた。したがつて昭和三七年一月二九日松野鶴平方で松野福子、水野、控訴人らが出席して訴外会社の第二回株主総会が開かれ、新役員の選任や本件建物を被控訴人に賃貸することの議決等がなされ、同年四月第三回、昭和三八年四月第四回の株主総会がいずれも控訴人方で開催された旨の議事録又は決算報告書が作成されているが、これらの株主総会は株式会社としての形式を整えるための形式的なものにすぎなかつた。

なお、松野鶴平は昭和三七年一〇月死亡した。

(四)  訴外会社には設立当時から控訴人を除いては常時勤務する者はなく、本件建物の見廻りなどのために、控訴人が近所の理髪店主白土一郎等を臨時に雇つたことがある外は経理事務を含む日常の事務処理はすべて控訴人が行ない、一年分の収支を記載したメモを年に一度税理士太田友法に送つて整理記帳させ、それに基づいて会計帳簿を作成させていた。

(五)  原判決三一枚目裏七行から同三二枚目裏一行までを引用する。

(六)  原判決三二枚目裏二行から三三枚目裏七行までを引用する。

(七)  控訴人は昭和三九年二月二八日頃、本件建物の明渡をうける際に訴外会社から被控訴人に返還されるべき保証金などの支払にあてるためのものとして他から借入れ、また自己の手持金を足して七三三万八三七九円を準備したが、本件建物の給排水工事について鉛管工事が行われていないこと、又原状回復工事も完了していないことを理由にその支払をせず、右金員を第一銀行昭和通支店に通知預金として預けたが、その口座は芝ビル(株)金子靖夫という名義の口座であつた。この預金のうち六五〇万円は昭和三九年八月一一日に同銀行自由ケ丘支店の芝ビル株式会社名義の定期預金に預けかえられたが、昭和四二年五月二五日以降のこの金員の行方は不明である。なお右六五〇万円が訴外会社の帳簿に記入されたのは、昭和四〇年四月一日になつてからであつた。そして、訴外会社は昭和三九年二月末当時において、控訴人が他から借入れ、これに自己の手持金を加えて準備した前記芝ビル(株)金子靖夫名義の預金と借り手のない本件ビルの賃借権以外にはほとんど無資産の状態であつた。

以上のとおり認められ、この認定に反する証拠は採用できない。

2 ところで株式会社等の法人は、法律上自然人とは別個の人格をもつているものであるが、法人の形態をとつていても事実はその背後にかくれた個人によつて支配され、個人企業と異ならないとか、背後にある個人がその義務を不当に免れ利益をうけるために法人という法形態が乱用されている場合には、その個人は自分と法人とが別個の人格であることを主張できず、相手方は背後に存在する実体たる個人に迫り、法人名義でなされた取引を個人の行為とみなして責任を追求することが出来ると解すべきところ、さきに認定された事実に基いて考えると

(一)  訴外会社は、本件建物の所有者である控訴人がこれを賃貸することによつて負債を返還する目的と、松野鶴平が柴山兼四郎に仕事を与える希望をみたすべく設立されたものではあるが、控訴人は松野の貸付金と訴外会社の資本金の大部分によつて訴外会社から二〇年分の賃料の一括前払をうけて自己の負債を返還したのに対し、松野は訴外会社設立後まもなく柴山が死亡し、前記当初の目的を失つたのみならず、長期間本件建物の賃借人がなく、訴外会社が休眠状態をつづけたため、予想外に長く貸付金が回収出来ないのに苦慮していたのであるから、設立後この時点までに訴外会社を利用したのは控訴人のみであつた。

(二)  松野が貸付金を訴外会社より返済させるよう控訴人に強く要求したのも、これを費消したのが控訴人である以上当然なことであるが、控訴人もこれに応ぜざるをえなかつたので、被控訴人と訴外会社との間に賃貸借契約を締結させ、被控訴人から本件保証金を訴外会社に交付させて、松野に右貸付金の返還をうけさせた。

(三)  松野が訴外会社を設立させたときから前記貸付金の返済をうけたときまでは、控訴人としては同人の意向を全く無視して事を処理することはできなかつたが、松野は右貸金の返還をうけてからのちは訴外会社に無関心となり、また同人は昭和三七年一〇月に死亡し、控訴人以外には訴外会社の経営に参画した者もなく、控訴人は本件建物の所有者としてこれを訴外会社に賃貸すると同時に訴外会社を事実上経営し、形骸化しているこれを支配して、唯一の収入であつた被控訴人より支払われた賃料をほとんど全部自己または自己の支配する別会社のために取得しまたは費消してきたものである。

以上を総合すると、訴外会社は控訴人が費消した松野からの前記貸付金の融通をうけるためと、柴山兼四郎に収入の途を与えるために設立されたものであるが、ビルの借手がなく、またその後柴山が死亡した後は、訴外会社は、法人としては、全く形骸を存するのみで、同会社が設立されず控訴人本人が個人で本件建物の所有者として直接これを被控訴人に賃貸したとしても、結果においては全く異ならなかつたもので、訴外会社は終始控訴人の利益に利用され、事実上控訴人ひとりの支配下にあつて、その実態は控訴人の個人企業と異ならない状態であり、被控訴人が訴外会社に交付した保証金も、控訴人が費消した松野の訴外会社に対する貸付金の返済にあてられたのであるから、控訴人が被控訴人に対する本件保証金の返還義務は無資産の訴外会社にあつて自分にはないと主張することは訴外会社の法人格を乱用して自己の責任を免れようとするものとして許されないというべきである。

よつて、被控訴人は控訴人に対して本件保証金の返還を請求できると解すべきである。

四以上判断したとおり、控訴人に対し、本件保証金六五〇万円およびこれに対する履行期の後で、本件訴状の送達によつて請求の日の翌日であることが明らかな昭和四一年四月一三日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求はすべて正当であるから、民事訴訟法三八四条によつて本件控訴を棄却し、訴訟費用負担について同法九五条八九条を適用して主文のとおり判決する。

(松永信和 小林哲郎 間中彦次)

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